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Arche Species -種-Chapter 2
『パンタレイ』

私はいつまで〈私〉なのだろうか?
私はいつから〈私〉なのだろうか?

​長野公演

2022年11月19日(土)

長野市芸術館 アクトスペース

東京公演
2022年11月26日(土)・27日(日)

北千住 BUoY

主催

Arche

振付・構成・演出

井田 亜彩実
 

美術・演出

大小島 真木

荒俣 夏美

南 帆乃佳

井田 亜彩実(以上、Arche)
黒須 育海(ブッシュマン)

鈴木 亮祐(G-ray)

水島 晃太郎

笠松 泰洋

音響:相川 貴
照明:久津 美太地

舞台監督:湯山 千景​

宣伝美術:八木 幤二郎
メインビジュアル撮影:hitoha.nasu 
記録撮影:大洞 博靖(スチル)、hitoha.nasu (映像)

制作:林 慶一

制作補:豊永 洵子(Arche)
協力:辻 陽介、平山 素子、シバイエンジン

古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは、世界の実相とは「流転」にこそあると考えた。

火、水、土、風、命―― 世界を構成するあらゆる万物はつねに変化し、新たに生成されつづけていくものなのだ、と。

たとえば河の流れは絶えずしてとどまることを知らない。ヘラクレイトスはゆえに「君は同じ河には二度と入ることができないのだ」と語る。

〈私〉もまた河と同じだろう。〈私〉に流れる血は絶えずしてとどまることを知らず、 あるいは〈私〉を構成する細胞は絶えずして流動を続けている。

ヘラクレイトスに倣うなら、君は同じ〈私〉には二度と触れることができないのだ。 しかし、それにも関わらず私たちは、ある〈河〉に、ある〈私〉に、不動の連続性、同一性を認め、昨日の〈河〉-〈私〉と今日の〈河〉-〈私〉とが同じであるということを信じて疑おうとしない。

言い換えれば、私たちは本来なら動的な世界を静的な世界かのように仮構することで、世界を覆う無限の複雑性からかろうじて逃れることができている。

古来、祭祀や儀礼にともなって行われてきた舞いや踊りとは、その日常とは異なる身体の所作によって、人々をかかる幻想から束のま解き放ち、あらゆる万物が不断に混融していく「流転」の実相へと誘うものであったのではなかろうか。

あるいは、およそ芸能と呼ばれる営為の本質もその一点に、すなわち静的な〈私〉の輪郭線を揺るがせ、絶えざる生成変化の動的過程へと引きずり込むことにこそあったのではなかろうか。

パンタレイ(万物流転)――ダンサーの井田亜彩実と現代美術家の大小島真木が演出を手がける本公演の企図もそこにある。

日本列島のふたつの臍である東京と長野の舞台空間に、〈私〉たちの身体を互いに分け隔てている輪郭線が揺らぎ、融けだしていくような、ひとつの境界域を生み出すこと、それによって私たちの認識と直感を、万物が相互照応的に生成変化を繰り広げていく、世界の実相へと誘いこむこと。

言うなればこれは、〈私〉であって、〈私〉ではないものたちによる、乱舞饗宴の催しである。

むろん、その乱舞饗宴においては、訪れる観客もまた〈観客〉という幻想の輪郭 線の内側に踏みとどまることは許されないだろう。

万物流転はあらゆるすべてを巻き込む。そこには始まりも終わりもなければ、内も外も、中心も周縁もない。

例外なき“世界生成”の運動に〈客席〉は存在しないのだ。

助成|長野:文化庁「ARTS for the future!2」補助対象事業

助成|東京:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京 [スタートアップ助成]

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